先日までツイッターで連載されていた、きくちゆうき氏の4コマ漫画「100日後に死ぬワニ」が話題となっています。
私は98日目ぐらいまでこの連載を知りませんでしたが、作者のきくちゆうき氏がORICON NEWSのインタビューで語った「なぜこの作品を制作したのか」という以下のコメントがとても感慨深いものだったので、最後まで真剣に読みました。
「『いつか死ぬ』生きているということはいつか死ぬということ。自分の『終わり』や周りの人の『終わり』それを意識すると、行動や生き方がより良い方向にいくのではないか。ワニを通してそれらを考えるきっかけにでもなればいいなと思っています」
こういう話しって、普段は私達日本人があまり口にして言わない事です。
多くの日本人は整った環境の中で生きており、日常生活でそんなことを想像する人は稀かもしれません。
しかし「終わりを意識して生きる」 ことは、人生で最も大切なことの一つだと思っています。
日本人が終わりを意識したときに言うこと
以前、私の宿泊施設にお越し下さった看護師のゲストがこんなことを話していました。
「病院で患者さんが死ぬ事を悟った時、絶対に言う事は『○○をしておけばよかった。』と『人生を振り返ると働いてばかりだった。』という後悔なんです。」
特に多いのは、
・やろうと思えばできたかもしれない夢だったのにやらなかった。
・行きたいところに行け(か)なかった。
・家族と過ごす時間を取ればよかった。
・最近はあの友人、知人と会えなかった。
という事だと仰っていました。
大半の日本人は、自分は死というものから遠い存在だと考えていると思います。
多忙な日々のなかでそんな事を考える余裕すらないのです。
また、この国では死や終わりという言葉はタブー視される傾向があると感じています。
しかし、もしかすると明日、交通事故に遭うかもしれませんし、自然災害に遭って死んでしまったり、大きな障害が残る可能性だって有りえるのです。
初めて「人生には終わりがある」と知った私の子供時代と人生観
私は、子供の頃からずっと「もしかすると今日何かが起こるかもしれない」という事を考えています。
初めてそのことを意識し始めたのは、幼稚園児の頃です。
もうすぐ100歳になるはずだった曽祖母が亡くなったとき、幼かった私は彼女が何か病気になったのだと思っていました。
しかし、お葬式が終わり、帰りの車の中で親族から彼女は「寿命」で亡くなったと聞き、子供ながらに衝撃的で底知れぬ恐怖が襲ったのを今でもはっきりと覚えています。
寿命というものがあると初めて知った瞬間でした。
「人間はいつか終わりがあるものなのだ」という事を知ったと同時に、その頃から「ひいばあちゃんは長く生きた方だったんだ。もしかしたら自分は何かがあって、もっと早く死ぬ可能性もある。」と考えるようになりました。
かなり悲観的な子供ですよね(笑)
そんな曽祖母の息子である私の祖父は、3男1女の末っ子で、戦時中の子供時代に父を亡くして母子家庭でした。
一番上のお兄さんは戦争で若くして死んでしまったそうです。
確か聞いた話しでは二十歳前後だったと思います。
さらに曽祖母は、親戚に借金の保証人にならされた事もあり、家財道具が全て押収されてしまうなど、家庭はとても貧しかったそうです。
そんな私の祖父は、小学校にも行けず、子供の頃から建築業に携わり、21歳で自分の会社を立ち上げました。
私が知る祖父は常に明るく冗談ばかり言う人で、そんな過去があるようには思えませんでした。
とんでもなく多忙な毎日だったと思うのですが、建築の仕事が大好きで、いつも楽しそうでした。
しかし、戦争で亡くなったお兄さんの話しをする時は「あんな若くして死んでもうて」と悔やんでいました。
私はその言葉が子供の頃からずっと記憶に残っています。
若いから何も起こらないとは限らないのだという意識が強くなったのは、その事があったからかもしれません。
当時の状況とは違えど、いつどんな事になって急逝するかわかりません。
祖父は幼くして父や兄を亡くし、つらい経験をしています。
人生には終わりがあり、いつどこで終わるかもわからないという事は、当たり前ですが私よりずっと知っていたと思います。
だからこそ、自分のしたい事にのめり込んで人生を全うしていたのだと思います。
80代で脳梗塞になって自由に動く事ができなくなり、その8年後に永眠しました。
しかし、彼は自分の人生には絶対に悔いがなかったと思います。
強引で粗暴なところがある祖父なので、人に多少迷惑をかける事も多々あったと思いますが、本人は悔いの残らない自由な生き方をしていました。
人生を謳歌するとは、正に彼のような生き方だと思ってます。
私が会社を辞めて、世界一周をしようと思ったのも、宿を開業したのも、祖父の様に人生の終わりまでに後悔がないように生きたいと強く思ったからです。
はっきり言って、世界旅行や宿開業なんて、まわりからするとアホみたいな話しで、心配をかけるような事ばかりです。
でもやりたい事がありながら、もしあのまま仕事を続けていたら、自分は絶対に後悔していたと思います。
「世界一周なんて定年後に行けば良い!」と言われた事もありましたが、定年後に元気でいるかどうかなんてわかりません。
ゲストハウスの開業に関しても、もっともっと先で良いのではないかという意見もあり、それでやっていけるのかという話しもありました。
実際に今、コロナウイルスの影響もあって現状は決していいとは言えず、先行きはわかりません。
しかし、やりたかった事をしているので全く後悔はしていません。
外国人と日本人の人生観
よく発展途上の国に訪れた際、地元の人々と接すると違和感を感じる事があります。
それは日本よりも圧倒的に貧しい国なのに、一般的な日本人よりも幸せそうだという事です。
その違いがある理由の一つは、きくちゆうき氏の言う「終わりを意識する」という点ではないでしょうか。
彼らは、死というものが日本人よりも遥かに身近にあります。
治安面であったり、食料が手に入らないという事も有りえます。
全員ではないにしろ、大多数は決して豊かではない。
それなのに屈託のない笑顔がそこら中で溢れているのです。
やはり彼らは人生の終わりというものが身近にあるからこそ、毎日を懸命に生きているのだと感じます。
また、その瞬間を楽しむことに長けているのだと思います。
それに対して世界最先端で世界的にみれば豊かな国で暮らす日本人はどうでしょうか。
朝の電車に乗ると一目瞭然です。
全員とは言えませんが、ほとんどの人は疲れ切っており、一部の人は生気すら感じられません。
これは日本人だけが思っている事でなく、うちの宿に来る日本語が話せない外国人のお客さんも口を揃えて言う事です。
自分は死から遠い存在ではあるけど、ただただ毎日が忙しく、同じことを繰り返す退屈な世界で「生かされている」という意識があるのではないでしょうか。
地球上の200近い国があるなかで、日本は国のGDPが世界3位です。
何もかも世界最先端で、食べ物に困る事もほとんどありません。
さらには働かなくてもお金がもらえる 生活保護という他国では考えられないシステムまで備わっています。
しかし、世界保健機関(WHO)の2016年度の統計では、人口10万人中の日本の自殺率は世界ワースト14位。
様々な理由があると思いますが、一番の原因は仕事や社会でのストレスによるものだと言われています。
多忙すぎる毎日にも関わらず、休みが極端に少ない事も大きな理由の一つではないでしょうか。
特にヨーロッパ人には、日本人の働き方が考えられないそうです。
うちのゲストハウスのお客さんにも「日本人は最大どれぐらい休みが取れるのか」と聞かれる事がそこそこあります。
連続した休みだと大体は1週間が限度だという事を言うと「Crazy…」って、とんでもなくびっくりしています。
彼らは年間3~4週間の纏まった休みが取れて、毎日5時に直帰するのが一般的です。
名目の有給ではなく、連続休暇が取れるのが当たり前です。
そもそも彼らは、働く理由が違うのだと思います。
欧州では家族や友人と過ごしたり、長期休暇を楽しむために働いています。
そんな彼らから「日本人は何のために働いているの?」と聞かれます。
勿論自分や家族を養うために働いているのですが、目に見えない義務感によって働いているのだと思います。
我慢が美徳とされるこの国の人は、過剰なほど人目を気にしなければならず、仕事を辞めれば社会的弱者になってしまうという意識が物凄く強いのだと思います。
勿論、自分の仕事が好き、もしくは嫌いではないという人も沢山います。
しかし、もし独り身で自分以外に養う必要がなかった場合、60歳までずっと嫌なことをし続ける理由って何なのでしょうか。
先述したように日本にいても、いつどこで何が起こるかなんてわかりません。
いざという時にしたい事ができなくなっているかもしれません。
最後に
もしかすると人生はそんなに長くないかもしれません。
やりたい事があるなら、絶対にやった方が良いと思っています。
もしやりたい事がなくて人生に嫌気がさしているなら、時機をみて海外に行ってみて下さい。
日本の事を知るにも比較するにも、海外へ行くと日本の良い点と悪い点の両方がはっきり見えてきます。
きっと良いアイデアや考え方もゲットできると思います。
いつ何をするにしても批判する人がいると思いますが、人目を気にし過ぎていては何もできません。
考えがあるなら準備だけでも進められてはいかがでしょうか。
しかし、私のような人間が増えすぎると、日本の経済は崩壊するかもしれません(苦笑)
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