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長かったゲストハウス物件探しの経緯【宿の備忘録】

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ゲストハウスを始めようと思ったきっかけ

私が海外に興味をもったきっかけは、小学生の頃に父親がじゃんけん大会でハワイ旅行券をゲットして、初めての海外の地「ハワイ」に訪れた事です。

それ以来、テレビや本で海外のことを調べ回っていました(でも社会で習う地理は全く興味ありませんでした)。

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そして、ゲストハウスを始めようと思ったのは今から10年以上前のこと。
学生時代に一人で海外を旅行していたとき、初めてホステルやゲストハウスに宿泊しました。

それまでは、海外旅行でも基本的にはホテルにしか泊まったことがなかった私にとって、ゲストハウスは衝撃の連続でした。

家のようなまさにアットホームな空間。
簡素な部屋にとんでもなく距離感が近い超フレンドリーなスタッフがもつ圧倒的な旅行の情報力、異国のゲスト同士の交流、すべてが新鮮でした。

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当時は日本でまだ「ゲストハウス」という言葉が浸透しておらず、国内でも数える事ができるほどしか存在していませんでした。
なので、兵庫にこんなところを作りたいと思いが芽生えたのが始まりです。

名所や穴場スポット、地元民しか知らない美味しい店を案内して、宿では異国のお客さん同士が交流を楽しんでもらう仕事なんて、自分にとってはこれ以上ない最高の活動だと確信しました。

そこから3年ほど会社員をしながらお金を貯めて、結婚後に約1年半の世界一周旅行をスタートし、世界各国の宿を視察して帰国。

大小を含めて様々な形態の宿を見た結果、私がやりたい宿は、小規模かつ旅行者が安心できて家のように寛げるアットホームな空間でした。
私の印象に残っている宿のほとんどがそんな施設だったからです。

大きな利益を求めるのであれば、大中規模の施設を作ることが必須ですが、そうするとどうしても全員のゲストの顔が見れなくなってしまいます。
勿論、利益が少なくていいわけはありません。
しかし、一儲けするというよりもゲストハウスのような仕事がしながら生計を立てていきたいというのが私の当初からの考えでした。

というわけで帰国後に物件探しをしている時は、そういった条件にに当てはまる物件を探していました。

ホステルに就職?物件を探すきっかけ

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世界一周を終えて、私はワーキングホリデーでオーストラリアに滞在していました。
帰国後の開業資金&生活費を稼ぐためです。

そんなとき、ひょんな事から予定より早期に帰国することが急激に決まりました。

予想外に早く帰国する事になったので、まずはホステルに就職して数年宿泊業の経験を積んでから開業しようと思い、帰国前のオーストラリア滞在中にインターネットで社員募集している宿を探しました。

そのなのかで飛騨高山で新しくオープンするという会社に連絡し、履歴書を提出し、担当者から書類選考が通ったという連絡がきたので帰国後に面接を受けることに。

その会社はホテル会社ではなく、商社でした。
新規事業として買い取った旅館をゲストハウスにをするという事で、ちょうど社員を募集していました。

面接時に「来年、京都にも大型ゲストハウスをオープンする」という話しがあり、面接の結果、私は新規オープンする京都店のマネージャーとして採用になりました。

その後、京都店がオープンするまでは別口で働きながら、夏の繁忙期にはすでにオープンしている飛騨高山のゲストハウスにアルバイトとして通っていました。

帰国後にそんな生活を数か月続けていた頃、社長から「京都店の物件契約が滞っており、もうしばらく待ってほしい」という突然の電話がありました。

実は社長からの連絡がある少し前、別の社員から少しだけ内容を聞いていたのですが、京都店の物件が駄目になりそうな状況だったようです。
その後、物件がどうなったかはわかりませんが、オープンしていないので、どうやら完全に頓挫してしまったようです。

一応内定を言い渡されてもいるので、もう駄目なら駄目で一言ぐらいあって良いと思うのですが、結局それを最後に連絡がくることは一度もありませんでした。

そんななか、これから先をどうするかを考えていたときに、日頃からとても良くして下さっている知人を通して、京都の超人気ゲストハウスのオーナーさんご夫婦とお会いする機会がありました。

その際、私の知人とオーナーさんご夫婦から宿業についてのお話しをいただき、大きく心動かされ、その場で開業を決意し、翌日からゲストハウスの物件を探すことにしました(笑)

単純かもしれませんが、切り替えやそれなりの思い切りは大事だと思っています。

約1年半を費やした物件探しの詳細

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物件探しは兵庫県、関西圏や岡山、四国も視野に入れて物件探しを開始。
第一候補地は姫路。理由は姫路城が好きだからです。

私が求めていた物件は、20人ほど収容できる建物、そして日本にしかない日本家屋。
当初は、日本家屋の空き家なんてどこの街にもいくらでもあるので、物件探しは大して難しくないだろうと考えていました。

それがいざ探してみると、意外と良い物件が見つかりません。というか全くありません。
勿論、田舎や郊外にはそれなりの日本家屋がぽつぽつとあります。
しかし、中心街や観光地となると話しは別で、探せど探せど宿をできるような規模の物件はありませんでした。

飲食店規模の物件であればそこそこあるのですが、宿の物件となるとミニマム宿でも100平米ぐらいは必要になります。
宿は法律で営業できるエリアが限られており、そこに採光率や窓の大きさなど、クリアしなければいけない条件が多いのですが、街の方に残っているそんな日本家屋は極わずかです。

物件は売買と賃貸の両方で探していました。
古い日本家屋なら何とか安くで手に入るかもしれないと思っていましたが、実は大きな日本家屋を宿にするためには、新しく家を建てるほどのお金が必要になる場合も多々あるという事がわかってきました。

もし賃貸の場合は、家主さんに改装の許可を得ないといけません。物件探しをするなかで、そんな日本家屋は無に等しい。

また、当時はちょうど日本にエアービーエヌビー(AIR BNB)が上陸した頃で、ゲストハウスよりも「民泊」という言葉が先に広まり始めていました。
不動産会社や家主さんも新規個人経営の宿泊業=民泊という考えが定着しかけていた時期です。

そのため、不動産会社を訪れた時は「ゲストハウスの物件を探しています」と伝えるのですが、不動産会社から家主に連絡する際は、必ずと言っていいほど「民泊というのがあって…」という説明から入り、しょっちゅう門前払いされていました。

日本では、2012年頃まで元バックパッカーや旅好きな人が個人で経営しているゲストハウスが大半だったと思うのですが、インバウンドの増加や東京オリンピックの開催決定もあり、ビジネス参入する企業が出てきて、この頃から大中型ゲストハウスも急増してきました。
なので以前よりもさらに宿に見合う物件が少なくなっていた頃です。

そんな理由から資金力の乏しい私は物件探しが難航していました。

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物件探しで巡った場所は、兵庫(姫路、神戸、淡路島、明石、龍野など)、京都、大阪、奈良、和歌山、岡山(倉敷も)、四国、山陰等です。

前述しましたが、なぜ姫路にオープンしたかったかというと、ただ姫路城が好きだからです。
日本で一番素晴らしい建造物であり、一番日本を感じられる場所だと思っています。
理由はそれだけです。

第二候補は京都。
理由は姫路と同じで好きな場所だからです。
その時は2、3号店でもいいので、いずれ京都には必ず宿をオープンしたいと思っていました。

ちなみに京都は他の地域よりも二足ぐらい早くゲストハウスが増え始めていましたが、物件を探し始めた頃はまだ「京都は宿を作れば掘っ立て小屋レベルでも入る」と言われる程だったので、今のようなレッドオーシャンは想像すらできませんでした。

姫路の物件探しについては、駅周辺やお城周辺の不動産会社は全て訪問し、何社かは探してもらえるまで何度も再訪問していました。
不動産会社側からするとかなりウザいやつだったと思います(^^;

そうでもしない限り、お金のない個人はなかなか取り合ってもらえません。
この手の物件って、最初から少ないうえにもし賃貸の場合だとあまり儲けにもならないし、探すのもややこしいので、紹介する側(不動産会社)には好まれないようです。

初めて前職で飛び込み営業をやっててよかったなと思いました。
こういう時は、多少うざがられてもお願いするというメンタルは必要です。

その後、知人の不動産会社にもかなり探していただき、地域のまちづくり協会の方にも協力していただきました。
その方々にはとてもお世話になったのですが、それでもなかなか物件が決まりませんでした。

気になった&決まりそうだった物件

勿論、物件探しのなかで良い物件はあったのですが、契約に至らなかった所をいくつか挙げてみます。

①知人に紹介してもらった日本家屋

物件を探し初めてすぐの頃に出会った物件です。
古民家の宝庫、京都ですら滅多に見かけない、姫路城の近くにあるスーパー日本家屋でした。
明治初期の建築物で文化財級の素晴らしい建物です。

ちょうど売買に出されているとの事で知人を通して値段を聞いてもらったところ、6000万円!こんな巨大で立派な日本家屋を宿仕様に改装し始めると億を超えてしまうかもしれません。

庭が大きいので、もし宿にしたとしても建物内に宿泊できるスペースは20人ほど。
小規模ゲストハウスでは回収が無理なので諦めました。

結局、その建物は取り壊されて分譲地になってしまいました。あんなに素晴らしい日本家屋が無くなったのは本当に残念です。
こういう建物を市が買い取って観光資源に活用するというのは無理なのでしょうか。

②元民宿でお城から徒歩5分の元民宿

インターネットに出ていた賃料9万円という格安物件で元民宿!というか昭和の連れ込み宿。
元民宿で用途変更は不要なので、これが大きい。

内覧に行ってみると、建物がボロボロで屋根が崩れかかっていました(笑)
今考えてみると、賃料9万円の物件なので当たり前です。

③お城に激近の広々とした元旅館

不動産会社Aに「元旅館か民宿はありませんか?」と聞いたところ、以前そういう売り物件があったという事で家主に聞いてみてくれたところ、見学もオッケーとのことで内覧しました。
中は古いですが、その分雰囲気も良かったです。

しかし、最初に不動産会社Aから聞いていた売値の倍額を提示されてしまいました。
不動産会社の説明によると、どうやら私が旅館を探しているという事を聞き、民泊が流行りかけていると知って突然値上げに踏み切ったそうです…(^^;

④小型雑居ビルの物件

この物件を見つけたのは探し始めて半年以上たったころだったかと思います。
もうこの頃になると日本家屋だけでなく、他の建物も探し始めていました。

徒歩で物件を探し回っていた時にたまたま見つけ、管理会社Bに問い合わせて内覧しました。
最初に聞いていた賃料は8万円。
しかし雨漏りもあり、かなりの補修が必要でした。
それを差し引いても良い物件だと思っていましたが、いざ最終的な賃料を確認したところ、急に2.5倍の賃料になりました。
不審に思って不動産に詳しい知人に相談したところ、その管理会社はその筋の人がいらっしゃる事で有名なようで、今回の話しには裏がありそうなので辞めたほうが良いとの事で諦めました。

担当者はすごく感じが良さそうな人だったのですが…。

⑤広々とした雑居ビル

とてもお世話になっている知人の友人が不動産会社を営んでいるという事で物件を紹介して頂きました。

すごく親身になって下さり、最終的に駅ちかのかなり良さそうな大型雑居ビルの2フロアを探し出し、値引き交渉までしてくださりました。
もうここで決定!というところまできていたのですが、そこでとんでもない事がわかりました。
なんと、隣接する雑居ビルの同じフロアが週末のみ営業するナイトクラブでした!

一番お客さんが多い土曜日に騒音はやばすぎる。
商業地区だから営業には問題ないと思い込んで、事前にしっかりと調査していなかった自分のミスです。
管理会社も深夜に出入りする事はないので横がクラブだとは知らなかったそうです。

⑥一番注力した文化財のスーパー日本家屋

物件を探し始めて1年が経とうとしていた頃、地域まちづくり会の方を通して紹介して頂いた建物です。
まさに私が理想とするスーパー日本家屋で、半年かけて家主さんと交渉していました。

最初は少し疑心暗鬼だった元銀行員の家主さんですが、何度かお話しするうちに賃すことを検討してくださり、だんだんと前向きに話しが進んでいました。

依頼されていた事業計画書を作成し、何度も打ち合わせして建築士さんと視察して契約の話しもでてきていました。

そして最初の連絡をしてから約半年後、最終の打ち合わせで賃貸契約となる予定だった日。
家主さんから、今まで一切話になかった屋根の修理(張替だけで1000万円)や他にも無理難題な条件を盛り込まれてしまいました。

近くに住む家主さんのご親戚には、とてもご贔屓にして下さっていたのですが、その方に後から理由をお聞きしたところ、宿にする事や値段について、家主さんのご兄弟から反対があったそうです。

決意から7年、物件探しから約1年半…

ゲストハウスをすると決めてから7年も経過し、1年以上も物件探しをしていたわけですが、それまで気持ちはかなり前向きでした。

しかし、前述した物件⑦のスーパー日本家屋物件にはかなり気を入れていたので、最終段階で頓挫した後はしばらく空虚感に襲われました。

もうこの頃には、「ゲストハウスは儲かる」という風に認知されるようになり、ビジネス参入も多くなってきていました。

勿論、宿泊業はビジネスなので仕方ありません。
しかし、このとき私は少し皮肉になっており、ゲストハウスに全く興味がないにも関わらず、お金儲けだけのために宿泊業に参入する企業に苛立ちを覚えていました(笑)

諦めかけていた頃に

宿以外には特にやりたい事もありませんでしたが、もう1年半近くも宙ぶらりんなわけで、そろそろ宿の開業を諦めないといけないかと考えていました。

そんなとき、神戸で今の物件がぽろっと出てきました。
今まで見てきたなかでは最も条件に近い物件でした。
勿論、完璧な理想物件ではありませんが、理想を追い続けて「やりたい」だけでは何も始まりません。
これは運命だと思い、神戸にて宿をオープンする事を決意しました。

多くのゲストハウスの個人オーナーさんは、数か月や年単位で物件を探した経験があるそうですが、稀に物件がすぐ見つかったという人もいます。

結局のところ、物件探しは本当に「タイミング」だと思います。

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